歴史 — 明治15年から受け継ぐ味
当店は明治15年(1882年)に創業しました。以来、当地でうろん(博多うどん)の伝統を守り、地域の皆様に愛され続けています。
このページでは、創業から現在に至る当店の沿革、受け継がれてきた調理の工夫、店づくりの方針、写真などをまとめています。
当店は明治15年(1882年)に創業しました。以来、当地でうろん(博多うどん)の伝統を守り、地域の皆様に愛され続けています。
このページでは、創業から現在に至る当店の沿革、受け継がれてきた調理の工夫、店づくりの方針、写真などをまとめています。
当店の歴史を語る前に、博多とうどんの深い縁について触れさせてください。
今から約八百年前、鎌倉時代のこと。日宋貿易が盛んだった博多の港には、大陸から様々な文物がもたらされておりました。その中でも、日本の食文化を大きく変えることになる技術を伝えたのが、聖一国師という一人の僧侶でございます。
聖一国師は、宋(中国)で仏教の修行を積み、当時最も格の高い寺院であった径山万寿寺から正式に法を受け継いで帰国されました。国師が宋に渡る前の二年間、博多の地で過ごされた際、宋の商人・謝国明が国師に宋の言葉や風習、文化を教え、自らの船で宋へと送り出したと伝えられております。
国師が宋から戻られる際には、三艘の船で博多に向かわれましたが、玄界灘で激しい嵐に遭遇し、二艘は沈没してしまいます。助かった船に乗っていたのが国師と、博多織の祖となる満田彌三右衛門でございました。その船には宋の貴重な宝物や書物が積まれており、それらは国師が開かれた承天寺に伝わることとなります。
その宝物の一つが、京都・東福寺に所蔵される国宝「大宋諸山図」の末尾に記された「水磨の図」でございます。これは水車を動力として歯車と石臼を連動させ、穀物を粉にする製粉工場の設計図。伝導軸や石臼などの回転部分に中心線が書かれた、まさに実用的な技術図面でございました。
遣隋使や遣唐使によって、麺類の原型ともいえる小麦を使った唐菓子は日本に伝わっておりました。しかし、効率的に小麦を粉にする技術はそれまで日本にはなかったのです。うどんは粉をこねて作るものですから、製粉の技術と道具がなければ麺を作ることはできません。
聖一国師がもたらされたこの製粉技術が博多に根づき、やがて全国へと広がっていきました。博多駅近くの承天寺の境内には、今も「饂飩蕎麦発祥之地」と刻まれた石碑が静かに佇んでおります。諸説ございますが、博多は日本におけるうどん伝来の地——私どもはその誇りを胸に、日々うどんを打ち続けております。
なお、聖一国師が帰国された当時、博多の町では疫病が蔓延し、多くの人々が苦しんでおりました。疫病を鎮めてほしいと請われた国師は、弟子たちに施餓鬼棚を担がせ、その上に乗り、お経を唱えながら祈祷水をまいて町を巡られました。この出来事と、疫病・怨霊よけの神であるスサノオノミコトを祀る櫛田神社への奉納が結びつき、今日の博多祇園山笠となったと伝えられております。博多うどんと博多祇園山笠——どちらも聖一国師に縁のある、博多の誇る文化でございます。
明治十五年(一八八二年)。聖一国師が製粉技術を伝えてから約六百年の時を経て、博多の街の一角で、小さな物語が始まりました。
創業者の名は、瓜生イソと申します。
イソは、もともとうどん屋を開くつもりはございませんでした。自宅の納屋を使って、得意だったうどんを親しい方々に振る舞っていただけのこと。特別な志があったわけでも、商売として成功させようという野心があったわけでもありません。ただ、自分の作るうどんで誰かに喜んでもらえれば——そんな素朴な想いだけがございました。
しかし、イソの打つうどんは格別でした。もちもちとした優しい食感、丁寧に引いた出汁の滋味深い味わい。一度食べた人が「また食べたい」と足を運び、その人がまた別の人に「あそこのうどんはうまか」と伝える。口コミは静かに、しかし確実に広がっていきました。
やがて、イソの納屋には連日人が集まるようになります。「これはもう、ちゃんとした店にせんといかん」——周囲の勧めもあり、イソは正式にうどん屋を構えることになりました。
開業当初、店には屋号がございませんでした。しかし、店が通りの角(かど)に位置していたことから、お客様は自然と「角のうどん屋」と呼ぶようになります。
ここで、当時の博多言葉の特徴が関わってまいります。明治の頃の博多弁では、「だぢづでど」の濁音がうまく発音されず、「らりるれろ」と聞こえる傾向がございました。「かどのうどん」は博多っ子の口を通すと「かろのうろん」。この愛嬌のある響きが気に入られたのでしょう、いつしかこれが正式な屋号として定着いたしました。
お客様に名付けていただいた店——それが「かろのうろん」の原点でございます。博多の街と、博多の人々に育てていただいた店として、私どもはこの屋号を誇りに思っております。
博多のうどんには、他の地域にはない独特の特徴がございます。それは、ふわっと、そしてもちもちとした柔らかな麺でございます。
「コシがない」と表現されることもございますが、私どもは少し違う捉え方をしております。讃岐うどんに代表されるような弾力のある歯ごたえとは異なる、博多ならではの「もちもち感」。これこそが博多うどんの真骨頂だと考えております。
では、なぜ博多のうどんは柔らかいのでしょうか。
博多は古くから商人の街でございました。忙しい商いの合間に、また小腹が空いたときに、ゆっくり噛まずともするすると食べられるうどんが重宝されました。せっかちな博多っ子は、五分でも待たされると機嫌を損ねてしまいます。そこで生まれたのが「茹で置き」の文化でございます。
生麺をその都度茹でるのではなく、あらかじめじっくりと茹でて柔らかくした麺を用意しておき、注文が入ったら温め直してお出しする。こうすることで、お客様をお待たせすることなく、温かいうどんをお届けできるようになりました。
また、九州産の小麦はもともとコシが出にくい性質を持っております。この地の小麦を使い、茹で置きの調理法で仕上げることで、博多独特のふわりとした食感が生まれたのでございます。
博多ラーメンの麺が細いのも、茹で時間を短くするためという説がございます。気短かな博多っ子の気質が、博多の麺文化を形作ってきたと言えるかもしれません。
当店も長らく、この茹で置きの伝統を守ってまいりました。江戸時代から続く博多うどんの文化を、明治の創業以来、脈々と受け継いできたのでございます。
百四十年を超える当店の歩みは、決して平坦なものではございませんでした。
昭和に入り、日本は戦争の時代を迎えます。第二次世界大戦中、博多の街も空襲の脅威にさらされ、当店は二年間の疎開を余儀なくされました。店を畳み、慣れ親しんだ場所を離れる——それは断腸の思いでございました。
終戦を迎え、ようやく博多へ戻ることができたものの、そこには新たな困難が待ち受けておりました。うどんを打つためには水が必要です。しかし、戦後の混乱の中、水の確保がままならなかったのでございます。
井戸を掘ろうにも、地盤が硬く、なかなか掘り進めることができません。このままでは店を再開できない——そんな絶望的な状況が続いておりました。
ある日のこと、一人の老婦人が店を訪ねてこられました。目の不自由なその方は、静かにこうおっしゃいました。
「ここを掘りなさい」
半信半疑ながらも、その場所を掘ってみると——不思議なことに、そこから水が湧き出たのでございます。
この言い伝えの真偽を確かめる術は、今となってはございません。しかし、私どもはこの話を大切に語り継いでおります。苦しいときに誰かの言葉に救われる、その言葉を信じて行動する勇気を持つ——店を再開できたのは、そうした人との縁、不思議な巡り合わせのおかげだと思っております。
こうして当店は、再び博多の地でうどんを打ち始めることができました。戦前からお通いくださっていた常連のお客様が「また食べられる日が来るとは」と喜んでくださったことを、先代から聞いております。
当店が店を構えるこの界隈は、時代とともに大きく姿を変えてまいりました。
創業当時、この辺りはカエルが鳴くような原っぱだったと伝えられております。博多の中心部でありながら、どこかのどかな風景が広がっていたのでしょう。
店を建設するために土地を掘り起こしていたところ、三匹の牛蛙がうずくまっているのが見つかりました。これが、当店のトレードマークであるヒキガエル——博多言葉で「わくろう」——の由来でございます。
店先に置かれた蛙の置物と看板には、こんな博多弁の文言が記されております。
「かろのうろんやに わくろうが三匹 ふくろうろっとったげな」
(角のうどん屋に ヒキガエルが三匹 膨れてうずくまっていたそうな)
この言葉には続きがあり、「かろのうろんを食うて、のろ(喉)に引っかかっておろろいた(驚いた)」という面白話も伝わっております。博多っ子らしいユーモアが感じられる、私どもの自慢の言い伝えでございます。
現在、この界隈はキャナルシティ博多をはじめとする大型商業施設が建ち並び、櫛田神社への参拝客や観光客で賑わう一大観光地となっております。かつての原っぱの面影はどこにもございません。
しかし、そんな変わりゆく街の中で、当店は変わらずこの場所に在り続けております。店先の「わくろう」は、今日も変わらず静かに佇み、お客様をお迎えしております。
四代目店主・瓜生高康の代に、当店の麺は大きく変わりました。
博多うどんには「茹で置き」という伝統がございます。当店も創業以来、この製法で営んでまいりました。「唇で切れる」と表現されるほどの柔らかさは、博多うどんの代名詞でございます。
ある時期から、当店は茹で置きをやめ、茹で立ての麺をお出しするようになりました。百年以上守ってきた製法を改めるということは、一言では申せぬものがあったかと存じます。
高康自身は多くを語りませんが、ただ「もっとおいしいうろんをお出ししたかった」とだけ申しております。
現在の麺は、前日に手打ちし、一晩寝かせたものを使用しております。その時期の上質な小麦に、竹炭を入れた水、二種の塩をブレンドして生地を作ります。麺の原料には、博多うどんに最適な「チクゴイズミ」という九州産の小麦粉を主に使用し、気温や湿度によって微妙にブレンドを調整しております。
こね上げた生地は足踏みをして一晩熟成させます。この熟成の時間が必要なため、当日急に増産することはできません。売り切れ御免——それでも、最良の状態の麺をお出しすることを優先しております。
茹で立ての麺は、柔らかくてもちもちとした食感の中に、しっかりとしたコシがございます。口に含むと優しい弾力が感じられ、喉越しも滑らか。博多うどんの良さを残しながら、新しい魅力を加えた一杯が完成いたしました。
「よく"コシがない"と表現されますが、食べればわかる通り、コシという歯ごたえよりも、もちもち感が重要。でも、時代に合わせて麺の硬さを少し調整しています。最近は、昔に比べて硬めの麺が好まれますね」
高康は麺のことになると、少しだけ饒舌になります。それ以外のことは、あまり語りません。
麺の製法は変わりましたが、出汁(だし)は創業以来、変わらぬ伝統の味を守り続けております。
当店の出汁は、北海道産の羅臼昆布を主体に、利尻昆布、鰹節、いりこ(煮干し)といった上質な天然素材のみで引いております。極上の羅臼昆布をこれでもかというほどふんだんに使い、丁寧に、丁寧に出汁をとってまいります。
明け方の三時から仕込みにかかることも珍しくありません。良い出汁を引くためには、時間と手間を惜しんではならないのです。
薄口醤油で味を調えた「スメ」(博多弁でつゆのこと)は、薄口ながらも奥深い優しい味わい。飲み干したくなる——お客様からそうおっしゃっていただけることが、私どもの何よりの喜びでございます。
食べ進むうちに、麺が出汁を吸って、ふわりとした食感へと変化していく。昆布や鰹節、いりこから取った香り高い出汁が麺に染み込み、一口ごとに味わいが深まっていく。これが博多うどんの醍醐味でございます。
当店の人気メニューについても、少しご紹介させてください。
トッピングで圧倒的な人気を誇るのが、ごぼう天でございます。
博多うどんとごぼう天は、切っても切れない関係にございます。ごぼうを板状に薄切りにしたり、棒状にしたり、かき揚げにしたりと形状は様々ですが、ごぼうの天ぷらをうどんにのせるという点は共通しております。
実は、このごぼう天、全国的には一般的なメニューではございません。東は岡山あたりまでしか見られないという話もあり、博多を中心とした地域の食文化なのでございます。ごぼうと油の旨味が出汁に溶け出し、うどんの味わいをさらに奥深いものにしてくれます。
そして、二番人気が丸天でございます。魚のすり身を丸く揚げたもので、関東の方にはあまり馴染みがないかもしれません。しかし、博多では定番中の定番。ふわりとした食感と魚介の旨味が、優しい出汁とよく合うのでございます。
当店には、正式な品書きには載っていない「裏メニュー」がございます。その名も「ごぼう丸」——ごぼう天と丸天の両方をのせた贅沢な一杯でございます。
このメニューが広まったきっかけは、コメディアンの小松政夫さんでございます。かつてご近所にお住まいだった小松さんは、当店に足繁く通ってくださいました。そのたびに注文されていたのが、このごぼう天と丸天の組み合わせ。常連のお客様の間で「小松さんが頼んでいたあれ」として知られるようになり、今では知る人ぞ知る人気メニューとなっております。
創業から百四十年以上。当店は本当に多くの方々に支えられてまいりました。
店内には、著名な方々の写真が飾られております。小松政夫さん、甲斐よしひろさん、さだまさしさん、前川清さん——九州ご出身の方が多いのは、やはり故郷の味への郷愁があるのかもしれません。「博多に来たら必ず立ち寄る」とおっしゃってくださる方も少なくありません。
しかし、私どもにとって何より嬉しいのは、地元・博多の皆様に愛され続けていることでございます。
戦前からお通いくださっている常連様のお顔を拝見することもございます。親子三代、四代にわたってご来店くださるご家族もいらっしゃいます。「子どもの頃に食べた味が忘れられなくて」「おばあちゃんに連れてきてもらった思い出の店」——そんなお言葉をいただくたびに、この店を続けてきて良かったと心から思います。
近年は、ガイドブックを手にした観光客の方々にも多くお越しいただいております。海外からのお客様も増え、客層は年々国際化しております。週末ともなれば、三百食以上をご用意しても完売してしまうことがございます。お待ちいただくことも多く、心苦しい限りではございますが、それでも足をお運びくださる皆様に、心より感謝申し上げます。
「博多のうどんと言えば、かろのうろん」——福岡っ子なら知らない人はいないとまで言っていただけるようになりました。この評価に恥じぬよう、これからも精進してまいります。
「やわらかくて食感がよく、スメに絡む麺を追求することに終わりはありません。今は、亡き先代の味を追いかけています」
四代目・高康はそう語ります。
先代から受け継いだ味を守りながら、より良い一杯を求めて進化を続ける。老舗だからこそできること、老舗だからこそやらなければならないこと。その責任の重さを、日々噛みしめております。
麺を打ち続けて三十年。先代は五十年にわたって麺を打ち続けました。その背中を追いながら、私どもは今日もうどんを打っております。
博多の街は変わり続けております。かつての原っぱは高層ビルとなり、訪れる人の顔ぶれも様変わりいたしました。しかし、どれだけ街が変わろうとも、変わらずここに在り続けること。温かいうどんで、お客様の心と体を癒すこと。それが私どもの使命だと考えております。
聖一国師が伝えた製粉の技術から約八百年。博多に根づいた麺文化は、今日も脈々と受け継がれております。一杯のうどんが語る歴史と文化。その重みを胸に、これからも博多の味を守り続けてまいります。
博多の街の「角のうどん屋」。どうぞ、お気軽にお立ち寄りくださいませ。温かいうどんと、真心を込めたおもてなしで、皆様をお待ちしております。
住所:〒812-0026 福岡県福岡市博多区上川端町2-1
電話:092-291-6465
営業時間:11:00 ~ 16:00(※最新の営業時間は店舗へお問い合わせください)